名君 上杉鷹山の師 細井平洲の『嚶鳴館遺草(おうめいかんいそう)』。
西郷隆盛も尊敬していた。江戸時代の儒学者 細井平洲が門人の藩主などとした問答や随筆をまとめた『嚶鳴館遺草』から主君に諫言する人間を傍に置いておくことの重要性と諫言できる人材をどう育成するかについてのお話です。渡邉五郎三郎先生の現代語訳にてご紹介します。
主君に諫言(かんげん)をする人物を育てる方法は「道理を知らせること」。
そのために学ぶことである。
『嚶鳴館遺草(おうめいかんいそう)』細井平洲。
■主君に諫言できる人材をどう育てるか
君主の側には何はともあれ、正直に意見を述べる者を置くのが第一とお考えになられておられましたところ、私がお答えを申し上げたものと一致して御安心なさいましたとの御由(おんよし)、大慶(たいけい)に存じます。
しかしながら、その是非善悪を明確にし、その判断を正直に申し述べるほどの人物はなかなかいないとのお話ごもっともと存じます。
なるほど、どの御家中にもご家来はたくさんおられましても、右のことをしっかり弁(わきま)え、主君に諫言できるような人は多くはありません。
どんな人でも主仕えをする者で、自分の主君が悪であってほしいと思うような人はありませんが、そのことを実行する力がなければ、申し上げたくてもそれができず、結局は押し黙って、心の中ではいけないと思いながら、何も言えずに毎日を過ごしているというのは致し方のないことと言えます。
だからと言って放っておくわけには参りませず、逐次それができる人物を育てるようにを心懸けくださるようにと存じます。
そのような是非善悪を判断できる人物を育てる方法は、人に道理を知らせることであります。人に道理を知らせる手段は学問をさせることであります。
学問をさせるには、先ず「大学の道」を読ませ習わすことであります。読み覚えますとその意味を知りたくなるのが人情の常であります。
一つ分かり2つ分かり、数を重ねてまいりますと、物事が段々分かってくることは、人の心の霊妙な働きであります。
そして、心に判れば、口にも出し、行いにも表れてくることは、自然の成り行きであります。
下世話(げせわ)にも申します通り、習わぬ経は読まれると申しますことは、聖人賢人の上でも同様であります。
世の中で物知りと申す人も習わぬ昔は何も知らない人でありました。
ですから、ご覧になりましたように、聖王賢君といわれる人が天下国家を治められる道も、人を道理の判る人に育てるということが、よく国を治める手初めであります。
人に何か善か悪かを分わからせずに、善をせよ、悪をするなと申すことは、天子の御威厳でも不可能なことであります。
御家中の人々も、学ぶことがよいことだと分かりましたならば、一人として学ばないものはありません。
■学問嫌いの主君の身に起こったこと
私が若い時に聞いた話ですが、あるところの君主が生まれつき学問嫌いで、日頃申し出すことも道理に合わないことばかりで、一家中困っておりましたので、家臣たちが話し合って、とにかく輪のようなものでもお聞きになれば、物の道理も判るように考え、色々方策を練って、儒者を招いて大学の講義を始めることにしました。
ところが、一同伺っておりますと、大変退屈して不快な様子でおられますうちに、目を回され、それよりいよいよ嫌いになられて、講釈と申すものは人にとっては大毒と申されて、いよいよ聞かれないようになり、不条理な言行もひどくなり、我がまま気ままに振る舞われて、家中の迷惑もいよいよ大きくなりました。
そこで重職の者達も又色々と相談をし、せめて一回だけでもお聞きになりますようにと、別の儒者を呼んで講義をさせました。
最初のうちは、また目を回すのではないかと不安げなご様子でしたが、その儒者がどのようにお話ししたか判りませんが、大変興味をひかれ、一向御退屈の様子もなく、重職たちも非常に喜んで、あまり長くならぬようにと告げましたので、適当なところで講義を止めました。
すると、「とても面白かった。御苦労とは思うけれども、できたら今一度講義話を聞きたい」との仰せで、それからは講話の日を待たれて聞かれるようになったので、次第に道理もおわかりになり、後には随分褒められるほどの君主になられたそうであります。
恐らく最初の儒者は事難しく、自分が永年学びました精密な学問の効能を、その場一回で相手に理解させようと、微妙な道理を詳しく申し上げたに違いありません。
然し、初めてそのような話を聞かれる耳には、何のことか一向にわけもわかりませんので、退屈され嫌がられるようになったのであります。
後の儒者は、きっと教え上手な者で、書物の上の誰もわかるような道理を勿体いぶらず優しく講じましたので、講話が進むに従い、物の道理も納得でき、判ってきてだんだん面白くなられたものであります。
すべて諸技芸は、知らない人には嫌いになるものであります。
茶の湯・蹴鞠(けまり)・能囃子(のうぼやし)でも、判からぬ間は退屈なものですが、少しでもその道が分かってきますと面白くなるのが人情であります。
そういうわけで、下世話にも、下手が嫌いになり、上手が好きになるとも、また嫌いが下手になり、好きが上手になるとも申します。
兎角、世の中は判らないもので、自分の主人はそれが嫌いだという家来は、自分が嫌いなのであり、家来がそれを嫌いだという主人は、主人自身が嫌いなもので、本当にそれが好きか嫌いかできるかできないかは、実際にあたってみなければ判らないものです。
そういうわけですから、善悪利害がよくわかっていて、それを人に教え諭すことのできる者を一人か二人選び出して、その者を大事にされたならば、誰も主君に認められたく、その中には脳の差はありましても、その人なりに知恵もつき、物の道理がわかるようになることは間違いありません。
とは言いましても、さしあたりそのような人物がいなければ、領地外の他の国の人でも、希望に叶う人物を雇われるべきであります。
他国の人を雇うことは、決して恥にはならぬと存じます。
細井平洲の人間学『嚶鳴館遺草』巻第五 [つらつらふみ 君の巻] 渡邉五郎三郎先生の現代語訳28-37ページ
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